上海通信NO.10-(1) 謝謝!再見!上海      
                                             白蘭花

白蘭花の上海MAP  淮海中路周辺MAP
                                                                                            
 4月下旬の半袖を着る程の暑さも、3、4日で終り少し肌寒くなりましたが、5月5日の立夏から又暑くなりました。5月1日はメーデーです。又一週間休みで8日から出勤です。中国政府はここ数年からでしょうか、国内消費喚起の為"双休日"(土、日休み)を取り入れ、春節以外にも国慶節とメーデーも長期休暇としました。その効果の表れでしょう、ニュースで、この休み期間中に香港へ行く内地の旅行客が44万人と伝えていました。

 5月5日友人Z氏の誘いで、上海近郊の海寧市へ日帰りで出掛けました。上海から車で約2時間です。塩官鎮の村長であるZ氏の"表弟"(母方の従弟)が出迎えてくれました。此処では杭州湾に流れる「銭塘江」の逆流が見学できます。"古魚鱗石"と云われる堤防が50km続いています。魚の鱗の様に積まれた石は、昔はセメントが無かったので、糯米を使って固めたそうです。この外「陳老閣」(乾隆帝の里。乾隆帝は此処で誕生し、本来ならば非嫡子の上、漢族の男子なので直ぐ殺される運命でしたが、同じ頃宮廷にも女子が誕生したので、すりかえられて命が助かったとの言い伝えがあります)を中心とする「古城」が保存されています。伝統的な影絵劇"海寧皮影戯"の小さな上演場がありました。「王国維記念館」(清末、民国初の文人、口語文の提唱者、宣統帝溥儀の教師も務める)、雍正帝(乾隆帝の父)が作らせた「海神廟」等もあります。

 さて、上海生活も残り1ヶ月となりました。「上海通信」最後は上海の代表的なお洒落な繁華街、淮海中路(旧フランス租界のメインストリートだったジョッフルロード)約6kmを紹介しましょう。今回は名残を惜しみつつ裏通りを歩きながらの紹介です。

淮海中路コース(百盛〜新天地)
 
 淮海中路と陜西南路が交差した角にデパート「百盛」があります。百盛の北側にある長楽村には1954〜75年に豊子ト(上海近郊、桐郷石門鎮出身の漫画家、上海通信bUで紹介)が居住していました。百盛の並びを西へ行くと最初の筋は襄陽南路です。北へ上り1つ目の筋、新楽路を西に曲ると、右手に「続・上海味めぐり」で紹介したレストラン「博多新記」があります。百盛の並びを西へ筋2つ行った所には「東湖賓館」があります。敷地内のレストラン「大公館」は、かつて上海暗黒街のボスだった杜月笙が1934年に建てた3階建ての洋館です。淮海路を挟んで百盛の向いにはデパート「巴黎春天」があり、陜西南路を挟んで巴黎春天の向いの一画には「襄陽路服飾礼品市場」があります。市場入口界隈では呼込みの店員がうろうろしており、しきりと通行人に声を掛けています。近くには牛丼の「吉野家」「真鍋珈琲」、「ミスタードーナツ」等もあります。

 淮海中路の西端は百盛から2.8km先の華山路と接した所です。襄陽南路との交差点から華山路との交差点迄の淮海中路には「旧日本総領事館」、「上海図書館」、「宋慶齢故居」(1948〜63年に居住)等があります。華山路と交差した先は淮海西路になります。淮海西路は約1.5km先の虹橋路と交差した所で終りです。この交差点近くに日本と合弁の高級美容院があります。女性のカットは350元(1元≒14円で約4900円)、男性は300元(約4200円)です。
 

 百盛正面玄関横には地下鉄1号線陜西南路駅の入口があります。百盛玄関前の小さな広場では、よく仮設ステージが設営され様々な企業によるイベントが行われています。此処から陜西南路を南へ歩き始めましょう。巴黎春天横の歩道には自転車やバイクの駐輪場があります。夜になるとこの辺りにはDVDソフト(コピー商品)売りの露天商が出没していましたが、最近取締りが厳しくなったのでしょうか、見掛けなくなりました。

 次の南昌路と交差する途中に日本人が"老板"(社長)のパン工房「如巴黎」があります。溶岩窯で焼かれたパンはとても美味しいです。南昌路との交差点右には「振鼎鶏」があります。蒸し鶏専門店です。"堂喫"(店で食べる)の場合は蒸し鳥1斤(500g)21.8元(約300円)で、"外売"(持ち帰り)の場合は1斤19.8元(約280円)です。その外、鶏の頭、首、足、尾、砂ずり、鶏の血の塊が入ったスープ等があります。食事時には皆、麺と一緒に食べています。交差点左には台南担仔麺の店「伊加伊」があります。此処は時価の海老を除けば、高くても牛肉の鉄板焼きの18元です。麺やご飯は大体10元以下です。庶民の食堂です。隣の2階には日本料理の店があります。陜西南路を更に南下し、次に交差する復興中路を西に曲り、右手の路地に入ると「博多新記」復興中路店があります。

 南昌路を東へ歩きます。表通りの淮海中路は自転車、バイクの通行が禁止されている為、この南昌路は自転車、バイクが頻繁に通ります。また、信号が少ないのでタクシーの抜け道にもなっているのでしょう、交通量が多く車のクラクションが鳴り響いています。商店もお洒落な淮海中路とは異なり、庶民の為の美容院、果物屋(中国は果物が安いです。みかんをよく買いますが甘くて美味しいです。果汁たっぷりの"香梨"も好物の梨です)、パン屋、靴の修理屋、金物屋、スポーツ用品店、アウトレットの店等が並んでいます。

2、3階の住居の窓やベランダには洗濯物や布団が干されています。表通りは禁止されていますが裏通りは許されているのでしょうか、時々プラタナス並木に洗濯紐を張って干している光景を見掛けます。パジャマ姿で歩いている人もいます。ごちゃごちゃした生活道路という印象です。茂名南路と交差する左手前付近には、かつて近代文学作家、巴金が住んでいました。魯迅夫人の許広平も魯迅没後の一時期、近くに住んでいました。

 淮海中路の方は、百盛の並びには百盛1階に「マクドナルド」、隣のビルには1階に「ハーゲンダッツ」、2階にはカラオケ「ビッグエコー」があり、「WELCOME TO SHANHAI」の看板がある緑地帯、そして地下鉄1号線陜西南路駅入口となります。緑地帯の北側は「花園飯店」で、茂名南路を挟んだその向いは「錦江飯店」です。錦江飯店南楼には上海に来たばかりの昨夏、マンションが見付かる迄滞在しました。嬉しい事に南楼には寝室と居室が分かれている部屋があります。南楼は昔のままの中国の雰囲気でした。街中の喧騒が嘘のような国有企業ののんびりとしたやり方です。北楼には24時間営業のレストラン「老夜上海」があり、錦江飯店の門の傍には中国スタイルの高級ブティック「上海灘」等が並んでいます。日本人が"老板"の美容院もあります。美容院隣は「続・上海味めぐり」で紹介した「蘇浙匯」が入ったビルです。同じビルに「国泰電影院」もあります。そして巴黎春天の並びは巴黎春天隣には「スターバックス」、オープンしたばかりの「SONYギャラリー」(アイボのデモンストレーションを大勢が群がって見学していました)、茂名南路との角にはデパート「二百永新」があります。

 南昌路は次に茂名南路と交差します。交差点角には「南昌大楼」があります。1933年に建てられたアールデコ風の装飾が為された8階建てのマンションです。淮海中路に近い所にはアクセサリーショップ「VINCIN」があります。ウインドーに外灘をデザインしたブレスレットが飾られていました。いつも通る時眺めていましたが、ある日消えていました。台湾の客が買って行ったそうです。次は東方明珠テレビ塔のある浦東側をデザインしたブレスレットを作るそうです。

 さて、交差点からは茂名南路を南へ歩きます。茂名南路には"唐装"(中国服)、"旗袍"(チャイナドレス)の仕立て屋等の小さなお洒落なブティック、レストランが並んでいます。城隍廟の「南翔饅頭店」の支店もありますが、残念ながら味はお奨めできません。安くて美味しいのでしょうか、いつも満席のレストラン「瑞福園」もあります。復興中路との角には「ローソン」もあります。パンを時々買いますが日本の味です。復興中路を超えると次の永嘉路と接する所迄は、上海でよく見掛けるプラタナス並木からクスノキ並木に変ります。

 クスノキ並木界隈はカフェ、バー、レストランが続く夜の街です。欧米人を多く見掛けます。11時を過ぎるとこの一帯は怪しげな雰囲気が漂い始めます。また、「瑞金賓館」(上海通信5参照)の入口もあります。瑞金賓館にも欧米人の客が多いバー「フェイス」や池の傍の静かなバー「カラーズ」があります。

緑豊かな静かな瑞金賓館の敷地を通り抜けると瑞金二路に出ます。瑞金二路には「瑞金医院」があります。此処から北へ向います。復興中路との交差点右手前角は、改装したばかりの肉饅等の点心がある「北万新包子店」です。復興中路を渡った角は新築の高級マンション「香山麗舎」です。最初の筋の香山路に入ります。


 瑞金二路は更に北の南昌路と交差した角には菓子舗「元祖」があり日本風の餅菓子があります。桜餅と名付けられた餅があったので食べてみました。桜大福と名付けた方が適切でしょう。その向いには食堂「豊裕生煎」もあります。上海の点心である"生煎饅頭"4個2.5元(約35円、小ぶりの豚饅を鉄板で焼いた物)やワンタン等が食べられます。早くも冷やしワンタン5元(約70円)と上海冷麺がメニューに登場していました。
瑞金二路は更に北の淮海路と交差すると瑞金一路になります。瑞金一路左手にはもう一軒、豊裕生煎があります。此方の方が小奇麗です。数軒先には京劇や年画(お正月に飾る中国民間版画)等をTシャツのモチーフにしている店や無農薬有機栽培茶葉の「雪峰農場高山茶」もあります。そして新錦江大酒店」があります。

      白蘭花   


 プラタナス並木とアーチ型ネオンが特徴的な淮海中路に戻ります。国泰電影院の並びには「黄山茶葉叙友茶荘」「カルバンクラインジーンズ」店、「bT上海味めぐり」で紹介した「全聚徳」のビルがあります。全聚徳ビル1階にはブライダル写真撮影の「巴黎婚紗」等、2階にはレストラン大娘水餃」等、3階には「上島珈琲」も入っています。この辺りには夏の夕暮れ時になると"白蘭花"を、細い針金に通して手作りのブレスレットやブローチにして売っている"老媽媽"(おばあさん)が出没します。今年も早くも見掛けました。白蘭花は涼しげな甘い香りがする小さな白い蘭の花です。20数年前初めて上海へ来た時以来、上海のイメージ花になりました。よって今回ペンネームにした次第です。さて、二百永新の並びはアンダーウェアショップ、薬局「上海薬房」、洋食の「紅房子西菜館」「アディダス」洋品店、「スウォッチ」時計店、東南アジア料理レストラン「涛」、「ナフナフ」「ニューヨーカー」のブランドショップ、ホテル「金辰大酒店」、香港系ドラッグストア「ワトソンズ」、子供服デパートと続きます。淮海中路は上海を代表する繁華街だけあってお洒落な人を多く見掛けます。

 香山路を歩きます。閑静な住宅街です。レンガの柱と鉄柵の塀の中には洋館が並んでいます。思南路と接した所に「孫中山故居記念館」があります。1918〜24年、此処に住んでいました。宋慶齢は孫文の死後も1937年迄住みました。隣には"藍印花布"(藍染め)の店「莉馥而」があります。向いはコンビニ「好徳」です。隣が啓秀中学(中高一貫制)なので下校時には中高生が、よくおでん等を買い食いしています。左に曲がり思南路を北上し、最初の筋の皋蘭路を右に曲ります。皋蘭路はとても短く直ぐに「復興公園」の入口に突き当ります。入口手前には「張学良寓所」(張作霖の子息、蒋介石に抗して幽閉された将軍)があります。2元の入場料を払って復興公園に入ります。広い公園です。租界時代、フランス人は毎年此処でパリ祭を祝ったそうです。復興公園北門から雁蕩路に出ると、直ぐ南昌路との交差点です。

 思南路に戻ります。皋蘭路の筋の次は南昌路です。右角には「科学会堂新館」「揚州飯店」があります。此処は孫文、宋慶齢夫妻が東京で結婚してから帰国し、最初に住んだ家があった場所です。南昌路を挟んだ向いには「第1次国共合作時国民党中央上海執行部旧址」があります。1923年には郭沫若(近代文学作家、中日友好協会初代会長)も住んでいました。交差点近くには1930年代の上海映画界を代表する俳優、趙丹も一時住んでいました。南昌路を東に少し行った所に「科学会堂」があります。其処に租界時代、フランスクラブがありましたが、1926年に今の花園飯店(旧錦江倶楽部)に移りました。南昌路の筋の次は淮海中路に接します。途中、「上海通信bT」で紹介したシャブシャブの「東来順飯荘」があります。向いには上海料理のレストラン「老上海弄堂菜館」もあります。ウェイターは鳥打帽にサスペンダー、ウェイトレスは短い旗袍を着ています。1930年代のモダンボーイ、モダンガールの演出でしょうか。

 瑞金路との交差点から思南路と接する迄の淮海中路を見てみましょう。大通り北側には宝石店、ブライダル写真撮影店、高級ランジェリーショップ、靴屋等が並んでいます。路地の奥には麺専門店「呉越人家」1号店があります。細い麺のあっさりスープです。豚の角煮や"雪菜"と豚肉の炒め物等の色々な具と一緒に食べます。
大通り南側にはデパート「新華聯商廈」があります。1階には眼鏡の「パリー三城」、6階にはとんでもない料理の量のレストラン「達伶港」が入っています。デパート前の一角では、紐が付いた球を使ったスカッシュのようなスポーツのデモンストレーションを1年中やっています。横の路地には「TATTOO」の看板が見えます。
「新華書店」、銀行、麺専門店「滄浪亭」(此処の麺も美味しいです)、針灸・按摩店、ブライダル店、ブランコ喫茶「仙踪林」(通りから見える窓側の席はブランコになっています)、ポルトガルタルトが4個10元と安いイスラム食品店「天山」と続きます。途中、路地奥のビル7階に「実弾射撃場」があります。
                                                

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