上海通信NO.10-(1) 謝謝!再見!上海 白蘭花
次の南昌路と交差する途中に日本人が"老板"(社長)のパン工房「如巴黎」があります。溶岩窯で焼かれたパンはとても美味しいです。南昌路との交差点右には「振鼎鶏」があります。蒸し鶏専門店です。"堂喫"(店で食べる)の場合は蒸し鳥1斤(500g)21.8元(約300円)で、"外売"(持ち帰り)の場合は1斤19.8元(約280円)です。その外、鶏の頭、首、足、尾、砂ずり、鶏の血の塊が入ったスープ等があります。食事時には皆、麺と一緒に食べています。交差点左には台南担仔麺の店「伊加伊」があります。此処は時価の海老を除けば、高くても牛肉の鉄板焼きの18元です。麺やご飯は大体10元以下です。庶民の食堂です。隣の2階には日本料理の店があります。陜西南路を更に南下し、次に交差する復興中路を西に曲り、右手の路地に入ると「博多新記」復興中路店があります。
2、3階の住居の窓やベランダには洗濯物や布団が干されています。表通りは禁止されていますが裏通りは許されているのでしょうか、時々プラタナス並木に洗濯紐を張って干している光景を見掛けます。パジャマ姿で歩いている人もいます。ごちゃごちゃした生活道路という印象です。茂名南路と交差する左手前付近には、かつて近代文学作家、巴金が住んでいました。魯迅夫人の許広平も魯迅没後の一時期、近くに住んでいました。 淮海中路の方は、百盛の並びには百盛1階に「マクドナルド」、隣のビルには1階に「ハーゲンダッツ」、2階にはカラオケ「ビッグエコー」があり、「WELCOME TO SHANHAI」の看板がある緑地帯、そして地下鉄1号線陜西南路駅入口となります。緑地帯の北側は「花園飯店」で、茂名南路を挟んだその向いは「錦江飯店」です。錦江飯店南楼には上海に来たばかりの昨夏、マンションが見付かる迄滞在しました。嬉しい事に南楼には寝室と居室が分かれている部屋があります。南楼は昔のままの中国の雰囲気でした。街中の喧騒が嘘のような国有企業ののんびりとしたやり方です。北楼には24時間営業のレストラン「老夜上海」があり、錦江飯店の門の傍には中国スタイルの高級ブティック「上海灘」等が並んでいます。日本人が"老板"の美容院もあります。美容院隣は「続・上海味めぐり」で紹介した「蘇浙匯」が入ったビルです。同じビルに「国泰電影院」もあります。そして巴黎春天の並びは巴黎春天隣には「スターバックス」、オープンしたばかりの「SONYギャラリー」(アイボのデモンストレーションを大勢が群がって見学していました)、茂名南路との角にはデパート「二百永新」があります。 南昌路は次に茂名南路と交差します。交差点角には「南昌大楼」があります。1933年に建てられたアールデコ風の装飾が為された8階建てのマンションです。淮海中路に近い所にはアクセサリーショップ「VINCIN」があります。ウインドーに外灘をデザインしたブレスレットが飾られていました。いつも通る時眺めていましたが、ある日消えていました。台湾の客が買って行ったそうです。次は東方明珠テレビ塔のある浦東側をデザインしたブレスレットを作るそうです。
クスノキ並木界隈はカフェ、バー、レストランが続く夜の街です。欧米人を多く見掛けます。11時を過ぎるとこの一帯は怪しげな雰囲気が漂い始めます。また、「瑞金賓館」(上海通信5参照)の入口もあります。瑞金賓館にも欧米人の客が多いバー「フェイス」や池の傍の静かなバー「カラーズ」があります。
瑞金二路は更に北の南昌路と交差した角には菓子舗「元祖」があり日本風の餅菓子があります。桜餅と名付けられた餅があったので食べてみました。桜大福と名付けた方が適切でしょう。その向いには食堂「豊裕生煎」もあります。上海の点心である"生煎饅頭"4個2.5元(約35円、小ぶりの豚饅を鉄板で焼いた物)やワンタン等が食べられます。早くも冷やしワンタン5元(約70円)と上海冷麺がメニューに登場していました。 瑞金二路は更に北の淮海路と交差すると瑞金一路になります。瑞金一路左手にはもう一軒、豊裕生煎があります。此方の方が小奇麗です。数軒先には京劇や年画(お正月に飾る中国民間版画)等をTシャツのモチーフにしている店や無農薬有機栽培茶葉の「雪峰農場高山茶」もあります。そして「新錦江大酒店」があります。
プラタナス並木とアーチ型ネオンが特徴的な淮海中路に戻ります。国泰電影院の並びには「黄山茶葉叙友茶荘」、「カルバンクラインジーンズ」店、「bT上海味めぐり」で紹介した「全聚徳」のビルがあります。全聚徳ビル1階にはブライダル写真撮影の「巴黎婚紗」等、2階にはレストラン「大娘水餃」等、3階には「上島珈琲」も入っています。この辺りには夏の夕暮れ時になると"白蘭花"を、細い針金に通して手作りのブレスレットやブローチにして売っている"老媽媽"(おばあさん)が出没します。今年も早くも見掛けました。白蘭花は涼しげな甘い香りがする小さな白い蘭の花です。20数年前初めて上海へ来た時以来、上海のイメージ花になりました。よって今回ペンネームにした次第です。さて、二百永新の並びはアンダーウェアショップ、薬局「上海薬房」、洋食の「紅房子西菜館」、「アディダス」洋品店、「スウォッチ」時計店、東南アジア料理レストラン「涛」、「ナフナフ」や「ニューヨーカー」のブランドショップ、ホテル「金辰大酒店」、香港系ドラッグストア「ワトソンズ」、子供服デパートと続きます。淮海中路は上海を代表する繁華街だけあってお洒落な人を多く見掛けます。 香山路を歩きます。閑静な住宅街です。レンガの柱と鉄柵の塀の中には洋館が並んでいます。思南路と接した所に「孫中山故居記念館」があります。1918〜24年、此処に住んでいました。宋慶齢は孫文の死後も1937年迄住みました。隣には"藍印花布"(藍染め)の店「莉馥而」があります。向いはコンビニ「好徳」です。隣が啓秀中学(中高一貫制)なので下校時には中高生が、よくおでん等を買い食いしています。左に曲がり思南路を北上し、最初の筋の皋蘭路を右に曲ります。皋蘭路はとても短く直ぐに「復興公園」の入口に突き当ります。入口手前には「張学良寓所」(張作霖の子息、蒋介石に抗して幽閉された将軍)があります。2元の入場料を払って復興公園に入ります。広い公園です。租界時代、フランス人は毎年此処でパリ祭を祝ったそうです。復興公園北門から雁蕩路に出ると、直ぐ南昌路との交差点です。 思南路に戻ります。皋蘭路の筋の次は南昌路です。右角には「科学会堂新館」に「揚州飯店」があります。此処は孫文、宋慶齢夫妻が東京で結婚してから帰国し、最初に住んだ家があった場所です。南昌路を挟んだ向いには「第1次国共合作時国民党中央上海執行部旧址」があります。1923年には郭沫若(近代文学作家、中日友好協会初代会長)も住んでいました。交差点近くには1930年代の上海映画界を代表する俳優、趙丹も一時住んでいました。南昌路を東に少し行った所に「科学会堂」があります。其処に租界時代、フランスクラブがありましたが、1926年に今の花園飯店(旧錦江倶楽部)に移りました。南昌路の筋の次は淮海中路に接します。途中、「上海通信bT」で紹介したシャブシャブの「東来順飯荘」があります。向いには上海料理のレストラン「老上海弄堂菜館」もあります。ウェイターは鳥打帽にサスペンダー、ウェイトレスは短い旗袍を着ています。1930年代のモダンボーイ、モダンガールの演出でしょうか。 瑞金路との交差点から思南路と接する迄の淮海中路を見てみましょう。大通り北側には宝石店、ブライダル写真撮影店、高級ランジェリーショップ、靴屋等が並んでいます。路地の奥には麺専門店「呉越人家」1号店があります。細い麺のあっさりスープです。豚の角煮や"雪菜"と豚肉の炒め物等の色々な具と一緒に食べます。
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