上海通信NO.8 春の雲南大旅行(2) 白蘭花 (^_-)丿世界遺産の街−麗江 大理から約130kmの雲南高原の山道をくねくねと車は進みます。段々畑にはそら豆等の野菜が植えられています。菜の花も咲いています。辺り一面の菜の花畑を見るには、少し季節が早かったようですが、それでも野菜の緑と菜の花の黄色、そして赤い大地のコントラストの美しさは溜息が出る程です。また到る所うず高く藁が積んであります。煮炊き用のようです。手の込んだ刺繍を施した負ぶい紐で子供を背負った男性が自転車を押して登っています。 麗江は人口約106万人。半数以上はナシ族やイ族、ミャオ族等、21種の少数民族です。ナシ族の胖金妹(お嬢さんの呼称、若い男性は胖金哥)が出迎えてくれました。まず夕食へ。海抜が2300mなので、お湯が80度で沸騰するそうです。その為、ごはんが美味しくないと云われましたが、確かに芯こそ無いもののボソボソしています。翌日、主峰の扇子陟は5596mある人類未踏の玉龍雪山中腹の雲杉坪へ。途中、ナシ族トンパ文化の源、玉水寨に寄りました。ナシ族は元々この一帯に住んでいましたが、木も育ち難い荒地なので、徐々に南下して現在の古城の地に到ったそうです。海抜3205mの雲杉坪へは麓からリフトに乗って行きます。雲杉坪には、今はもう保護動物となったレッサーパンダを帽子にして被っているイ族がいました。海抜が高いせいでしょう、後頭部が痛み出しました。
眼鏡をかけている人は教養があると見なされ、半分の1年半で許されますが、もし伊達眼鏡をかけて騙したら、更に3年加算され6年間奉仕しなければならないそうです。まだ18歳にもなっていない哨〓(口へんに多)哩が接待し、父親が作った銀細工の品を見せてくれました。此処のダイ族は主に手作りの銀細工や機織、観光業、米やパイナップル等の果物栽培等で生計を立てているようです。 ダイ族の村はテーマパークのようになっています。民族舞踊が観られる劇場やダイ族の伝統的な新年(西暦では4月中旬)の行事である水かけ祭をアトラクションとして見せてくれる広場もあります。水かけ祭といえばタイにもありますが、タイ人は遡ればダイ族と同じ祖先をもつそうです。この日は肌寒かったので観光客の参加者はさすがに少ないです。にもかかわらず見せてくれました。勇壮な太鼓と鐘の音に合せて、びしょ濡れになる迄、水をかけ合います。アトラクションが終わったら皆、急ぎ着替えに自宅へ帰っていました。そして景洪へ戻っての夕食は、水上レストランでショーを見ながらのダイ族料理でした。細かく刻んだ野菜と鶏肉をバナナの葉に包んで蒸した物、豚の皮の料理、パイナップルおこわ等のシーサンパンナならではの料理を戴きました。朝市で見た外郎や開いた魚の串焼き、そして昆明で戴いた"米線"もありました。冷たい米線は細く暖かい米線は太い麺でした。 次の日、T大姐夫妻は1人200元で、日帰りでミャンマーへ観光に。国境近くでは首と耳たぶが長い少数民族の生活を見学、そしてミャンマーでは"人妖"(ニューハーフ)のショーを楽しんだとの事。私達は、まずホテルに接する民族風情園を観に行きました。ちょうど"3・8婦女節"(1904年3月8日ニューヨークの女性労働者達が女性参政権の運動を起こす。それを記念し1910年国際社会主義者会議で国際婦人デーとする事を決定)だったので、村から特別に休みを貰ったのでしょう、綺麗に着飾った少数民族の婦人達も観光に来ていました。少数民族が少数民族を見に来ています。面白い光景でした。そしてタクシーに乗り瀾滄江を眺めに行きました。小さな街なのでタクシーは市内だったら大体どこでも5元だそうです。瀾滄江は乾季の時期(10〜5月、雨季は6〜9月)なので、水は少なく河川敷が多く見えています。若者達がピクニックでしょうか、飲食物を持って河川敷へ向っています。土手には屋台も出ています。長閑なホッとする光景が広がっています。帰りはぶらりぶらりと歩いて繁華街へ。大勢ミャンマーから仕事に来ていると聞きましたが、確かに翡翠、玉の店の主人らしき人は、殆どミャンマー人でした。大理しか行った事がないガイドの「シャオドリ」もミャンマーへはよく出掛けるそうです。 シーサンパンナには花の料理があると来る前に聞いていたので、ホテルで昼食の時、尋ねると1種類だったら手に入るかもしれないと言います。夕食を楽しみにしていましたが、残念ながら駄目でした。やはり花の季節の7、8月にならないと食べられないそうです。夕食後、T大姐夫妻と一緒に曼聴公園へ少数民族のショーを観に出掛けました。民族色豊かなショーの後、広場でかがり火を囲んで踊ります。観客も参加します。最後に紙の灯篭を公園の池に浮かべておしまいです。昨晩の夕食の時のショーでも感じましたが、ダイ族は観客を楽しませるのが上手です。 9日、三岔河自然保護区の野像谷へ。景洪から47kmです。昆明へ続く山道を行きます。今、昆明への高速道路を建設中なので到る所、砂埃に見舞われる悪路です。野像谷では中国で最後に少数民族として認定された狩人ジノ族の力強く勇ましい太鼓と踊りの歓迎を受けました。そして野生の象を見るために、延々と長いロープウェイで、象が住む森林の上を上って行きます。残念ながら上から象を眺める事はできませんでした。帰りは自分の足で下ります。途中、象の足跡やフンを発見しましたが、やはり象には会えませんでした。同じく観光に来ている少数民族のグループが、山道の脇で肉がのったおこわのおむすびを頬張っている場面に出くわしました。私達も昼食を済ませて、象のアトラクションを見学。そして愈々上海へ戻るため空港へ向います。 「シャオドリ」、「マオドリ」とお別れです。手続きまで少し時間があったので、空港横の果物屋でスイカを食べました。木陰の椅子に座っていると景洪に着いた時と同じ感覚を抱きました。なんだか時間と空気が間延びしたかのようにゆったりと流れていきます。空港では体温検査がありました。省外に出て戻るときにはチェックされるそうです。鳥インフルエンザの影響でしょうか。待合室へ行くと二人の男性が公安に連行されていました。密輸でしょうか・・・。 お世話になったT大姐夫妻は昆明で飛行機を降りました。私達は昆明を飛び立ち上海へ。上空から見た昆明の街は、郊外に数多くのビニールハウスが並んでいました。数日後、上海にもダイ族料理のレストランがあったので行ってみました。シーサンパンナと同じようにショーがあり、最後には客も参加して外に出てかがり火を囲んで踊ります。なんと花の料理もありました。紫蘇の花のような形状をしています。さすが上海です。本場で食べられなかった物が食べられました。\(〜o〜)/ 上海通信No.8-(1)へ ★ 上海通信トップへ トップページへ |