上海通信NO.7 上海街めぐり(2)
白蘭花
★四川北路コース(四川路橋〜魯迅公園)
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虹口には租界時代、日本人が約10万人程、住んでいたそうです。日本人に縁が深い虹口のメイン・ストリートである四川北路(約3.2km)、つまり蘇州河に架かる四川路橋から魯迅公園付近迄を歩いてみましょう。四川路橋を渡る手前の右側には、蘇州河沿いに小さな公園があります。鳥愛好家達の集いの場なのでしょう。木の枝に下げられた鳥篭からは、鳥のさえずりが聞こえ、愛好家達は傍で長閑に談笑しています。さて四川路橋は、かなり勾配があります。山のように荷物を積んだ三輪車が2、3台、橋を上っています。おじさんは自転車を降り、力を込めて三輪車を押しています。昔は、橋を越える荷車の加勢をし、駄賃を貰う子供達が、橋の袂にいたそうです。橋を渡って直ぐ左手には、時計塔がある古い建物があります。「上海市郵便局本局」です。右手は租界時代は「松坂屋」デパートだった建物です。今は携帯電話の小さな店や台湾資本のパン屋「元祖」等が並んでいます。
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海寧路との交差点に架かる歩道橋迄、ビルや小さな店が続きます。左手は歩道橋の約250m手前からは再開発の為、工事中です。右手は歩道橋から1つ手前の昆山路を行くと呉淞路とぶつかります。その角に
「ビザセンター」があります。2月、ビザの更新で行きました。此処は上海市民のパスポートセンターも兼ねている為、大勢の申請者が順番を待っていました。申請も受取りも手続きそのものは直ぐ済みましたが、順番待ちに1時間ちょっと、かかりました。上海市は2010年の万国博覧会迄には、市民全員にパスポートを交付したい意向だそうです。
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さて四川北路に戻ります。昆山路の1つ手前に小さな昆山花園路があります。入口左に古いアパートが残っています。奥には中国近代文学女流作家の丁玲が一時住んでいたアパートも残っていました。作品「ソフィー女史の日記」を面白く読んだ記憶があります。右角は昔「商務印書館虹口分店」(書店)があった所です。今は新華書店になっています。そして海寧路を右に筋3つ行った通りには、租界時代「ライオン」がありました。ビアホール「銀座ライオン」でしょう。 |
海寧路の歩道橋を越え、左右にある小さな店を過ぎると、右手に新しくできた「四川北路公園」が広がります。左手は開発中です。奥には建設が終わったばかりの高層マンションが聳えています。鉄道の高架をくぐると、左手は"百年老店"の「恆豊茶號」等の店が少しあり、また開発中の区域になります。今、虹口地区は再開発を大々的に進めているので、近い将来、全く違う姿を見せてくれるでしょう。さて恆豊茶號の奥には1906年、魯迅と同じ紹興出身の社会活動家、秋瑾女史が住んでいました。1998年紹興の秋瑾記念館を訪れた事があります。秋瑾も日本への留学経験があります。和服姿で白刃の短刀を手にしている写真がありましたが、清朝打倒、漢民族復興への強い決意が感じられました。日本から帰国後、故郷でクーデターを起こしますが失敗し処刑されてしまいます。 |
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再び四川北路に戻ります。右手には「東宝百貨」とデパート「巴黎春天」があります。そして小さな「横浜橋」があります。かつて此処で魯迅と郁達夫が話し込んでいた姿を日本の作家、金子光晴が文章にしています。更に小さな店が続き、右手に上海市第一人民医院分院があります。その前には招商銀行や台湾式点心店「永和大王」が入ったビルがあります。招商銀行の辺りは1917〜29年、日本の書籍を扱い始めた頃の最初の内山書店があった場所です。内山完造は魯迅と深い親交があった社会活動家です。その先に「多倫路文化名人街」があります。2、30年代の上海風情の街作りが為されています。入口右には「公珈琲館」があります。魯迅や左翼作家達がよく利用した喫茶店です。今は地下に移っていました。魯迅に因んだ紹興料理のレストラン「咸亨酒店」もあります。魯迅や茅盾、柔石、周建人等の左翼作家達が住んでいた景雲里も傍にあります。骨董、絵画等を売る小店が並ぶ永安里は永安公司の社員アパートでしたが、そのまま残っています。
多倫路の入口に戻り、四川北路を北上すると、少しカーブしています。庶民的な食堂や食料品店が並んでいます。交差点は複雑ですが信号が無いので、車、トロリーバス、バイク、自転車、三輪車、歩行者が入り乱れています。四川北路は道幅が狭いので、多くの歩行者が車道に、はみ出て歩いています。物を食べながら歩いている人も多く見掛けます。気取りの無い庶民の街という印象です。さてカーブした右手、山陰路への入口左には工商銀行があります。此処は後の「内山書店」があった所です。裏手には自宅もありました。右手にある新しくできたビルには、ユニクロ、牛丼の吉野家、ケンタッキー、ピザ・ハット等と共に上島珈琲UBCが入っています。珈琲を飲みました。鎮江のUBCで飲んだ恐ろしく濃い珈琲とは違って、なかなかの味でした。やはり珈琲文化の長い上海です。山陰路を進みます。左手には「魯迅故居」があります。魯迅は此処で逝去しました。茅盾も近くに住んでいました。右手には松本重治、尾崎秀実、吉行エイスケ達も住んでいました。
四川北路に戻ります。カーブした先、左には旧「ラモスアパート」があります。此処にも魯迅は一時期、住んでいました。更に北上します。左右に靴屋、洋品店、飲食店等が続きます。パン、ケーキが美味しい「新僑」もあります。そして、突き当りが「魯迅公園」(旧称は新公園、後に虹口公園)です。公園内には魯迅記念館と魯迅の墓もあります。魯迅公園入口から更に300m行くと、高架鉄道明珠線と交差しますが、四川北路はそこで終りです。右手の緑地の向うに巨大な虹口体育場(サッカー場)が見えます。緑地には梅林があり、赤く開花していました。そういえば外灘でも、"白玉蘭"や黄色い迎春花が咲いていました。もう春です。\(~o~)/
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