上海通信NO.7 上海街めぐり(1) 白蘭花 2月は徐々に気温が上がり、最高気温が20度を越えたり、最低気温も15度になる日がありました。下旬に寒の戻りがありましたが暖かくなりました。さて上海に来て7ヶ月になります。此の間、街のあちらこちらを歩き回りました。今回は上海の街の様子をコース別に紹介したいと思います。まず上海の顔である外灘(バンド)、東方明珠タワー、南京路等の代表的観光スポットから静安寺へ到る南京路コース、そして日本人に縁が深い虹口(ホンコウ)のメイン・ストリートである四川北路コースは、四川路橋から魯迅公園付近迄です。 ★南京路コース(外灘、東方明珠タワー、南京路〜静安寺) 整備され広くなり、ゆっくりと眺めを楽しみながら歩けるようになった「外灘」。黄浦江を挟んで対岸の浦東に建つ「東方明珠タワー」(468m)、「金茂大廈」(日本の森ビルが建てた中国で最も高いビル、88階建、グランドハイアットホテルが54〜87階を占めており、こちらは世界一高い位置にあるホテル)、「正大広場」(アジア最大のショッピングセンター)等が真近に見えます。黄浦江を背にして立つと、目の前はオールド上海の佇まいです。1845年イギリスが租界を開設しました。イギリスのサッス−ン財閥の本拠地だった「和平飯店北楼」をはじめ、時計台がある「上海税関」やドームが印象的な「上海浦東発展銀行」(旧香港上海銀行上海支店)等、当時の重厚な石作りのヨーロッパ風建物が並んでいます。和平飯店の角にはシティーバンクが入っています。此処で纏めて日本円を人民元で出金し、隣の中国銀行上海分行(旧中国銀行本店)に入金しています。上海市内の"銀聯"加盟のATMであれば24時間、何処でもキャッシュカードが使えます。中国銀行のATMでは1回1500元迄で1日4500元迄の出金ですが、深〓(土へんに川)発展銀行のATMでは1回1000元迄で1日5000元迄、出金できます。シティーバンクの場合は、PLUSマークが貼ってあるATMで出金出来ますが、出金額はまちまちです。出金できない事もあります。どういう事なのでしょうか・・・。さて南京東路を挟んで、和平飯店北楼の向いにある「和平飯店南楼」(旧パレスホテル)には20数年前、泊った事があります。床が少し傾いていた事や、冷房の調節が効かず真夏なのに寒い思いをした事が、懐かしく思い出されます。また当時、和平飯店北楼1階のバーでは、ジャズバンドが生演奏をしていましたが、まさしくオールド上海の雰囲気そのままのようでした。このジャズバンドは、今もオールドジャズバンドとして演奏しています。
ここの大包子(大きな中華饅頭)はスーパーマーケットにも置いてあるので時々買います。美味しいです。少し先に歩を進めると左に生地屋の「宝大祥」があります。その先にはレストラン「新雅」があります。背後にはホテル「南新雅」もあります。新雅は中秋節前には、月餅を予約する人で行列ができます。3年前は人気のレストランでしたが今は、あまり客が入っていません。昨夏、食事した時、東京大学出のタレント菊川玲を見掛けました。受付のおばちゃんに教えてあげると、急ぎ確かめに行って「没錯、没錯」(間違いない)と、はしゃいで戻って来ました。さすが上海のおばちゃんです。躊躇する事なく聞きに行き握手もしていました。上海時装公司の隣には昔、新新公司だった「第一食品商店」があります。ビスケットで知られる「泰康」食品もあります。そして歩行街の最後は右手に大新公司だった「第一百貨店」があります。このように約1km程続く歩行街には古くからの店やケンタッキーやピザ・ハット、マクドナルド、牛丼の吉野家、熊本味千ラーメン等の新しい店が数多く並んでいます。夜になると頭上に数多くのネオンサインが瞬きます。南京路独特の夜景です。また路地を入ると点心や"小喫"(軽食)の店が並んでいます。更に小さな路地に入ると昔のままの雰囲気が残っています。
昨秋、上海京劇院上演の「貞観盛事」を観ました。唐の貞観年間の太宗、李世民が賢臣、魏征の意見を聞き入れ贅沢を戒め名君となり国が栄えた史実を京劇にしています。華やかな舞台でした。先月には、やはり上海京劇院の「白蛇伝」を観ました。中国の神話を京劇にした物です。峨眉山(四川省)で修行していた姉妹の蛇が美しい少女に化け西湖(杭州)へ来ます。善良な青年と出会い結婚しますが、これは仙人の掟を破る行為なので神の怒りに触れ、青年は金山寺(鎮江)に軟禁されます。途中、色々ありますが最後はハッピーエンドです。昨秋、鎮江の金山に行ったばかりなので、より身近に鑑賞できました。 さて南京西路に戻ります。右手にはデパート「新世界城」や華僑飯店だった「金門大酒店」を過ぎると、レンガ作りの古い建物が一際、目を引く「国際飯店」があります。1950年11月このビルの頂上にある旗を原点として上海市を測量し、上海市の平面図が出来上がったそうです。1920年代から80年代初め頃迄は国際飯店が上海一高いビルでした。国際飯店前の緑地帯には上海市の花"白玉蘭"(白木蓮)を模した街灯があります。左手には租界時代には競馬場だった「人民広場」が広がっています。地下鉄2号線人民広場駅の入口もあります。この近辺はタクシーを捉まえる事が、最も困難な所なので、地下鉄に乗って静安寺駅迄、行く事もあります。静安寺では比較的、簡単にタクシーを捉まえる事ができます。
人民広場の西端、つまり南京西路と黄陂北路が交差した角にも、租界時代の競馬場の建物が、そのまま残っています。更に左手に黄陂北路から南京西路と平行して西へ走る江陰路があります。この通りには金魚、鳥、コオロギ、亀、花木、骨董等の店が並んでいます。南京西路側には最近オープンした「マリオットホテル」が細長く聳えています。その横には「上海通信bT上海味めぐり」でご紹介したレストラン「功徳林」があります。 南京西路と交差した成都北路と南北高架を越えると左手に喫茶店「仙竹林茶坊」があります。ここで"鴛鴦〓(女へんに乃)茶"を飲みました。ミルクコーヒーと紅茶をブレンドした飲物です。この先には上海テレビ局があります。その奥に日本の椿山荘が経営しているフォーシーズンズホテルが見えます。一度レストランに行きましたが、価格の高さに驚きました。右手は「奇石古玩市場」(奇石、骨董市場)や小さな飲食街を過ぎると、以前は静安区少年宮だった所が、今は会社になっていました。そして主に銀行が並びパン屋、カメラ屋、洋品店、花屋も並んでいます。工事中の所もあります。左手は小さな飲食店が立ち並ぶ呉江路への入口を過ぎると1662年清朝康煕元年創業の"百年老店"の薬屋「雷允上」や、やはり"百年老店"の「黄山茶葉店」が並んでいます。洋品店、眼鏡屋、靴屋等もあります。そして「新華書店」(2階は孫文夫人、宋慶齢の少年児童書店)、点心店「王家沙」、シルク王の店、喫茶店、スターバックス、ケンタッキー、ピザ・ハット等もあります。食事時になると何処のピザ・ハットにも長い行列ができます。若者に人気の店です。ケンタッキーも若者に人気の店です。マクドナルドよりも人気があるように見受けられます。
対外友好協会の建物は、かつては永安公司の郭老板(郭社長)の邸宅でした。左手は以前は工業展覧館でしたが今は上海市展覧センター、友諠会堂になっています。レストラン「台南坦仔麺」もあります。台湾料理と麺の店です。店内はフランス・ルイ王朝風の華美な雰囲気です。食器にウエッジウッドも使用しています。何だか落ち着きません。道沿いにはレストラン「避風塘」があります。飲茶(ヤムチャ)の店です。店の前の路上にもテーブルが並んでいます。屋根も付いています。冬場は寒さ除けの囲みがされ個室のようになります。ストーブも置かれます。夜には街路樹の電飾やネオンが賑やかです。銅仁路と交差した角には高級レストラン「天湖花園」があります。 左に曲がり銅仁路から南京西路と平行に西へ走る安義路には、「毛沢東寓所旧址」がポツンと残り、あとは一面、再開発の為、取り壊されていました。3年前、この一面はトロリーバスの車庫や古いアパートが数多く建っていた所です。中国近代文学作家、郁達夫が一時、住んでいたアパートも取り壊されていました。南京西路に戻ります。次の常徳路と交差した所迄は、右にはオフィスビル中欣大廈、隣には古い洋風アパートに上海銀行が入っています。テラス付レストランが2軒、続いています。左は、やはりオフィスビル上海嘉里中心、上海プジョー販売店、時計屋、カメラ屋、コンビニ、ケーキ屋等が並んでいます。常徳路との交差点に立つと、右前方に中国近代文学の女流作家、張愛玲が住んでいた古いアパートが見えます。このアパートは上海市重要建築物の保存対象になっています。
華山路とぶつかった賑やかな交差点に戻ります。左に曲がると最初の道は延安西路です。歩道橋があり、その向うに「ヒルトンホテル」が見えます。ヒルトンホテル2階の広東料理のレストラン「隋園」はゆったりと寛げます。1899年イギリスとアメリカの共同租界は西端を、ここ静安寺迄、拡張しました。南端と北端は変わりません。そして南京西路は500m先の延安高架路と接した所で終ります。 上海通信No.7-(2)へ ★ 上海通信トップへ トップページへ |