上海通信6“迎新年,迎春節”(2)
白蘭花
(^o^)丿“迎春節”
一月は頻繁に雨が降りました。気温も低く春節前には霙も見られ、春雷も聞かれました。春節時期のこうした現象は吉祥として、とても喜ばれる事だそうです。今年の春節は一月二十二日でした。寒い春節で、零下5度を下回る日もありました。例年の上海は零下1、2度止りだそうなので、今年の寒さは特別のようです。国慶節の時と同じように一週間休みがありました。春節前の十七、十八日の土、日は出勤して、二十二日から二十八日迄が休みとなりました。十日位からでしょうか上海の街が俄かに慌しくなってきました。商店は春節前の大バーゲンセールを始めました。繁華街は人で溢れ、道路も渋滞しタクシーは捕まりません。捕まらない筈です。もう既に夕方四時半から九時迄は連日予約で埋まってしまっているそうです。そしてレストランでは“年夜飯”(忘年会)が始まりました。あるレストランには「“年夜飯”を予約したお客様にはお酒が飲み放題のサービスあり」との貼り紙がありました。また“年夜飯”の景品を持って帰路に着くグループ、酔って千鳥足のグループ、急性アルコール中毒でしょうか・・・救急車で運ばれて行く人等、まさしく年末の光景の数々です。
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一月二十一日、友人Y氏に“過年飯”に誘われました。一ヶ月前にレストランを予約したそうですが、もう既に五時は満席で取れず、七時半からの席がようやく取れたそうです。さて数日前から気の早い人々がポツリポツリと始めていましたが、夜中の0時が近づいてきたら華々しく始まりました。四方八方、花火と爆竹の大競演です。轟き渡る大音響です。三十分程続きました。二十四日(春節初三)、友人Z氏に誘われました。こちらも人気のレストランはもう予約がいっぱいだったそうです。食事の後は麻雀組と映画組に分れ、私達は映画を見に行きました。座り心地のいい椅子の小さな映画館です。中国も日本と同じく映画館までわざわざ足を運ぶ人は少ないようです。観客は23人でした。暖房も入っていません。しっかり着込んで来ましたが、それでも寒いです。確かに自宅のソファーに寝転がってDVDを見た方が暖かく楽です。ましてや新作も安価にすぐ手に入ります。二十五日(春節初四)、夜中の0時近くに又、始まりました。花火と爆竹の大競演です。四日前の“過年”(年越し)の時に負けず劣らず盛大です。やはり三十分間続きました。“過年”の爆竹は知っていましたが、今回の“初四”の爆竹は初めての経験です。驚きました。マンションの服務員の説明では“財神爺”(金儲けの神)を呼び寄せる為の爆竹だそうです。やはり“百姓理財”(みんな財テク)の上海です。
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二十九日、仕事始めです。寒さが和らぎました。街を走る車が皆、洗車されピカピカです。「大衆」タクシーがこの春節から50台、ベンツのタクシーを取り入れました。約17000台程の内の50台なので、到底お目に掛かれないと思っていたら見ました。ドイツから直輸入のベンツです。いつものタクシーよりも少し濃いエメラルドブルーの車体でした。そして上海の大発展を支えている“民工”(工事現場の労働者)も故郷から上海へ戻って来ました。入れ替わりに今度は春節期間中は稼ぎ時で休めなかったレストランの従業員等が帰省します。地元、上海人はきれいで収入のいい仕事を選びます。レストランの服務員や工事現場の労働者等は“外地人”の仕事です。上海市の人口1800万人の内、300万人は上海市戸籍の“外地人”で、200万人は臨時戸籍の“民工”と言われています。地理的に近いからでしょう、上海は安徽省からの出稼ぎ労働者がとても多いです。“民工”も三年前と比べると格段に服装や持ち物が良くなっています。やはり上海は稼げる街なのでしょう。春節から十五日目は元宵節です。旧正月の締め括りです。今年は二月五日でした。二月四日の立春の翌日です。一月の厳しい寒さは去りました。春の兆しを感じます。城隍廟では“灯会”(ランタン祭)の飾り付けが華やかでした。普段は自由に入れますが、この日は大人は35元、1.2m以下の子供は20元の入場料が取られました。元宵節は最初の十五夜です。元宵団子を食べます。寧波で食べた“湯団”です。城隍廟の“寧波湯団”は、お湯の中に酒糟が入っていました。今日で“春節”が終り、いよいよ一年のスタートです。夜、また爆竹、花火が上がりました。さて、二十二日(春節初一)、二月三日(春節十三)と、また領収書が当りました。どちらも5元です。
今年は“好運気”(運が好い)という事でしょう。\(~o~)/
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