岳陽――洞庭湖畔の古鎮(1)
岳陽の町は、洞庭湖の東岸を南北にのびている。むかしから幾多の文人や詩人がここに逗留して詩詞をものし、それらの多くは歴史の淘汰をくぐりぬけて今に伝えられている。中国名詩選や唐詩選などをひもとくと、岳陽や洞庭湖を詠んだ歌の豊富なことに驚かされる。なぜ、それほどまでにたくさんの文人や詩人がこの辺鄙な小邑にやってきたのだろう。どうも、それは中国大陸における岳陽の立地と関係しているようだ。
京広鉄道の旅 羅湖駅から鉄路の旅客になる。数少ない岳陽止まりの特急寝台だ。航空機の直行便はない。晩の10時前に発車した列車は日付が変わるころ広州東駅を通過し、そこから京広線を北へ驀進する。眠っている間に韶関を経て広東省から湖南省に入り、やがて朝になった。同室の青年が降り支度を済ませてそわそわしている。なかなか衡陽に着かないというのだ。夜間になにか不具合でもあったのか、列車は予定を一時間ほど遅れて走っていた。衡陽の次は株洲に停車する。あまり馴染みのない駅名だが、江西や上海、貴州、雲南へむかう車両はここで線路を乗り換える。南中国における鉄路の要衝であるらしい。列車は湖南省の省都長沙をすぎ、最後の行程を北進する。やがて左の車窓に小さな河川や湖沼が頻繁に展開し始める。洞庭湖が近くなってきたのだろう。楚の屈原が投身した汨羅江は岳陽南郊を流れ、静かに湘江へ注ぐ。汨羅をすぎれば、目的地はもう目と鼻のさきだ。正午近く、列車は1001キロの遠路を14時間かかって岳陽駅にすべりこんだ。 駅前広場は、中国の他の諸都市と同じようにささくれだった雑踏におおわれている。中国に長く生活していると、蝿のように鬱陶しい客引きにも慣れてくるから恐ろしい。このごろはタクシーの悪徳運転手よりもこちらの悪知恵のほうが数段も上まわり、すれてしまったものだ、と自分に悲しくなる。站前路(駅前通り)を流している車をひろって宿舎にむかう。駅やホテルで客待ちしているタクシーよりも、街路を流している運転手の方がはるかにまじめであることは、この国に暮らしている者ならたれでも経験的に知っているのだ。沿海都市から払い下げられた旧式の上海サンタナは岳陽の町を東西に貫通するメインストリートの巴陵路を東にむかう。
岳陽楼に登る 江南には三大名楼とよばれる古建築がそびえている。武漢の黄鶴楼、南昌の滕王楼、そしてここ岳陽楼である。魏、呉、蜀の三国が鼎立した時代、呉の名将魯粛が建安20(西暦215)年、水軍の訓練と閲兵、当地の鎮守を目的として建てた閲軍楼が岳陽楼の前身であるらしい。水軍は当然のことながら洞庭湖を根城にした。湖面に浮かぶ水軍を閲兵するには高度が必要になる。だから、岳陽楼は湖畔の丘の上に高くそびえていた。魯粛は、劉備(蜀)と謀って曹操(魏)指揮下の兵船や陣営を焼き討ちした赤壁の戦いで現代にも知られる。その赤壁は、岳陽の北東およそ100キロの京広線沿いにある。 岳陽城を構成する古建築群は、いま、岳陽楼公園とよばれる管理区域内に大事に保存されている。入園するとまず眼に飛び込んでくるのが碑廊とよばれる廻廊風の建物である。65枚の石碑を嵌め込んだL字型の建屋は中庭を包み込むようにたたずみ、見学者に心地よい日陰を作ってくれる。すぐ左手に屹立する岳陽楼への登楼は後の楽しみとし、楼壁に穿たれた岳陽門をくぐって湖畔に降りていく。20メートルほどのトンネルになっている。かつて洞庭湖から岳陽城に入るには、この門以外の道はなかった。東西南北への水運が盛んだった湖に対して堅牢な護りを固めていたことがわかる。 門を出ると急峻な階段が続き、それを降りきった湖辺に点将台とよばれる舞台がある。あいにく門扉で堅く閉ざされ、鉄格子を隔ててしか見ることができない。点将台とは水軍の将兵を点呼した場所のことであろう。そこから30メートルほど離れたところに「鉄枷」が安置してあった。長さ2.6m、厚さ0.34m、重量3.5トンのX字形をした鉄塊で、現存する3枚のうちの1枚がここに展示されている。北宋時代に編まれた岳陽風土記はすでにこの鉄枷を「古物」と記しているが、はたしてどの時代に造られたものなのかは不明であるらしい。中央部などに幾つかの丸穴が穿たれているので、兵船の繋索に使われたとか、湖の護岸、あるいは鎮邪(悪病予防)など幾つかの説が唱えられている。諸説はいずれもお伽めかしく、本当のところはよくわからない。 湖畔の石畳にそって南に歩を進めると、ほどなく湖亭に行き当たる。懐甫堂である。杜甫は漂泊の旅のさなか岳陽楼に登り、いまなお北方で止まない戦火を憂い、老病のわが身の孤独に涕した。
小亭の中央には『登岳陽楼』の詩文を刻した石碑が立ち、亭屋には革命の元老朱徳が揮毫した《懐甫堂》の雄渾な三文字の扁額が懸かっている。 ふたたび門をくぐって岳陽楼にもどり、いよいよ登楼する。ゆるかな弧を描いて藍天に撥ねあがった屋根の形状が美しい。その優美さに、しばらく言葉を失う。屋根瓦のむこうがわには岳陽楼埠頭がすぐそこに見える。桟橋から広がる遥かな水面に君山の影が煙っている。明日は湖を越え、あそこにむかう。 岳陽―洞庭湖畔の古鎮(2)へ トップページへ |